選帝侯

せんていこう

選帝侯(〔羅〕princeps elector imperii、〔独〕Kurfürst)とは、「ドイツ民族の神聖ローマ帝国(〔羅〕Sacrum Romanum Imperium Nationis Germanicae、〔独〕Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation)」(15世紀までは単に「神聖ローマ帝国」)において、国王選挙権を有した上級貴族のこと。

「侯」と訳されているものはドイツ語の「フュルスト(Fürst)」であるが、これが現代の意味での「侯爵」を意味するようになったのは後世のことであり、もともとラテン語の「プリーンケプス(princeps)」(「第一の者」の意味)の独訳語として用いられていることからも分かるように(ドイツ語のFürstは語源的には英語のfirstと同根)、帝国(ライヒ)の直属領主のうち最も位の高い者を総称する用語であった。したがって、聖界か俗界かなどに関係なく、大司教(Erzbischof)、僧院長(Abt)、公(Herzog)、方伯(Landgraf)、伯(Graf)などをすべて含む(この意味では「諸侯」とも訳されることもある)。その意味では「侯」というのは誤解を招く訳語であるが、ドイツ語でも「フュルスト」を用いている以上、「選帝侯」と訳すことに理由がないとはいえない。

なお、選帝侯がラテン語では「エーレークトル(elector)」(選挙人)と呼ばれることからも分かるように、「クーアフュルスト(Kurfürst)」の「クーア(Kur)」は、この場合、「治療」ではなく「選挙」の意味である(これを動詞化すると「キューレン(küren)」(選出する)となる)。

もともと、ドイツ王の選出にあたっては、フランケン朝のコンラート1世(Konrad I.)以来、選挙王政が採用され(そもそも、ゲルマン民族の風習では、ディングゲノッセンシャフト(Dinggenossenschaft)に見られるように、共同体の総意が重視される傾向がある)、それは神聖ローマ帝国成立後も引き継がれるが(沿革的には、選挙により選出されたドイツ王がローマ法王により戴冠されて神聖ローマ帝国皇帝となる、という構造)、1356年のカール4世の金印勅書(Goldene Bulle)により、選挙権を有するのは、次の聖俗七諸侯に確定した:

  1. トリーア大司教(Erzbischof von Trier):カトリック教会の官僚であり、世襲されない。
  2. ケルン大司教(Erzbischof von Köln):カトリック教会の官僚であり、世襲されない。
  3. マインツ大司教(Erzbischof von Mainz):カトリック教会の官僚であり、世襲されない。他の選帝侯をフランクフルト・アム・マインに召集する。帝国最終決定を起草する。
  4. ボヘミア王(König von Böhmen):ボヘミアは、現在チェコ共和国の西部一帯(東部はモラヴィア)。
  5. ザクセン公(Herzog von Sachsen)
  6. ライン宮中伯(Pfalzgraf bei Rhein):「プファルツ(Pfalz)」とは、国王の居城のこと。プファルツグラーフは、「宮中伯」と訳され、国王の司法代理を担当する。現在の地名「プファルツ」はこのライン宮中伯領のこと。
  7. ブランデンブルク辺境伯(Markgraf von Brandenburg)

皇帝が欠けた場合には、1か月以内にマインツ選帝侯が、フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)に選帝侯を召集する。選帝侯は皇帝候補者と選挙協約を結ぶ(この協約は、当選後に当事者を拘束する)。選挙協約が確定すると、投票日を決定し、投票日には、フランクフルト大聖堂まで行進して、ミサの後、祭壇で選挙宣誓をして、選挙を行う。皇帝が選出されたら、戴冠式を行う。