引用法

引用法(〔独〕Zitiergesetz、〔仏〕loi des citations、〔英〕law of citation)は、東ローマ帝国の皇帝であったテオドシウス二世(Theodosius II.)が426年に制定した法律。概ね次のような内容であった。

  1. 裁判所は、事案の解決に当たって、ガーイウス(Gaius)、パーピニアーヌス(Papinianus)、ウルピアーヌス(Ulpianus)、パウルス(Paulus)、モデスティーヌス(Modestinus)の5人の法学者(引用法学者という)が書きのこした意見を規範として適用すべきである。
  2. 事案に適用すべき意見について、引用法学者の間で見解の相違が見られる場合には、引用法学者の多数によるべきである。
  3. 同数となった場合には、パーピニアーヌスの意見を適用すべきである。
  4. パーピニアーヌスの意見がない場合には、裁判所の裁量でどの意見を適用するかを決めるべきである。

西ローマ帝国のヴァレンティアーヌス三世(Valentianus III.)もこれを採用したため、引用法は西ローマ帝国でも効力を有した。当時の西ローマ帝国は崩壊の危機に瀕しており、東ローマ帝国に対しても従属的な関係にあった。