タトラ山脈に稲妻光る

タトラさんみゃくにいなずまひかる

タトラ山脈に稲妻光る(Nad Tatrou sa blýska)は、スロヴァキアの国歌。「タトラの山々」などとも呼ばれる。もともとスロヴァキアの民謡だった「井戸を掘る(Kopala studienku)」のメロディーに、1844年にヤンコ・マトゥーシュカ(Janko Matúška)が歌詞をつけて、現在の体裁となった。

1844年に、ハンガリー王国の政府がリュドヴィート・シュトゥール(Ľudoivít Štúr)を罷免したことに反対して、学生たちがプレスブルク(Pressburg、現・ブラティスラヴァ)からロイトシャウ(Leutschau、現・レヴォチャ)に向けてデモ行進を行った際に成立したといわれる。スロヴァキアは、当時ハンガリー王国の支配下にあり、シュトゥールは、スロヴァキア語を確立したナショナリストとして知られている。

1920年以来、「わが故郷いずこ(Kde domov můj)」(現・チェコ国歌)に続けて、この歌の1番がチェコスロヴァキアの国歌として歌われていたが、ビロード革命によりチェコとスロヴァキアが分離し、この歌の1番と2番がスロヴァキアの国歌として歌われることになった。

歌詞

Nad Tatrou sa blýska hromy divo bijú.
Nad Tatrou sa blýska hromy divo bijú.
Zastavme ich bratia, ved' sa ony stratia, Slováci ožijú.
Zastavme ich bratia, ved' sa ony stratia, Slováci ožijú.

To Slovensko naše posiaľ tvrdo spalo.
To Slovensko naše posiaľ tvrdo spalo.
Ale blesky hromu vzbudzujú ho k tomu, aby sa prebralo.
Ale blesky hromu vzbudzujú ho k tomu, aby sa prebralo.

和訳

タトラ山脈に稲妻光り、雷鳴が響き渡る。
タトラ山脈に稲妻光り、雷鳴が響き渡る。
雷を止めよ、兄弟たち、雷は消えてゆき、スロヴァキアは復活するだろう。
雷を止めよ、兄弟たち、雷はきえてゆき、スロヴァキアは復活するだろう。

この我らがスロヴァキアは、これまで眠りについていた。
この我らがスロヴァキアは、これまで眠りについていた。
しかし、雷鳴は彼らの眠りをさまたげ、彼らは目を覚ました。
しかし、雷鳴は彼らの眠りをさまたげ、彼らは目を覚ました。

メロディー