シッコ・レーンデルト・マンスホルト

シッコ・レーンデルト・マンスホルト
© European Community, 2005

シッコ・レーンデルト・マンスホルトは、オランダの実業家・政治家。合併条約後では第三代の欧州委員会委員長。所属政党は、社会民主労働者党(SDAP = Sociaal Democratische Arbeiders Partij)。

マンスホルトは、1908年9月13日にウルルム(Ulrum)の豪農の家に生まれた。デフェンテル(Deventer)の熱帯農業学校(Tropische landbouwschool)でタバコ農園について学び、1934年にはオランダ領ジャワ島(現・インドネシア)の茶プランテーションで働き始めるが、1936年に本土に帰る。1937年にはヴィーリンゲルメール(Wieringermeer)で農場を営み始める。政治家としても活躍を開始し、ヴィーリンゲルメール市長となる。第二次世界大戦中は反ナチ活動を行い、戦後、1945年にヴィム・シェルメルホルン(Wim Schermerhorn)内閣で農業漁業食糧大臣(minister van Landbouw, Visserij en Voedselvoorziening)として入閣。その後、6度入閣。1958年には欧州委員会委員に就任、1972年から1973年にかけては欧州委員会委員長をつとめた。1995年6月29日、ヴァプセルフェーン(Wapserveen)において逝去。