ニース条約

ニース条約
© European Community, 2005

ニース条約(〔独〕Vertrag von Nizza)は、欧州連合の基盤となる諸条約を改正する条約の一つ。2000年12月11日に南フランスのニースで調印され、2003年2月1日に発効した。批准手続においては、アイルランドの国民投票で一度否決されたが、条文の修正を行わずに再投票にかけられ、可決された。

当初から予期されていたEUの東方拡大(中東欧諸国のEU加盟)に備えて、EUの機構改革を行う必要性が認識されていたが、アムステルダム条約の成果はこの点でまったく不十分なものであった。そこで、「アムステルダム後(post Amsterdam)」の改正が不可欠とされ、この改正交渉は2000年12月のニース欧州理事会において妥結し、直ちに調印された。

ニース欧州理事会
© European Community, 2005

ニース欧州理事会は、12月7日から11日という異例の長さとなったが、これは、何としても交渉をまとめ(て条約に「ニース」の名を冠し)たかった議長国フランスの意気込みによるものであった。もっとも、機構改革には進展はあったもののやはり不十分であり、それがコンヴェンションの設置・欧州憲法条約の起草につながった。

具体的には、次のような機構改革により、欧州連合を民主化するとともに、拡大可能な(erweiterungsfähig)ものとした:

  1. 2005年1月1日より、理事会の加重投票の票数割り当てを、なるべく人口比に叶う形にするよう改めた(拡大議定書3条)。もっとも、四大国(ドイツ、フランス、イタリア、連合王国)の等数票が維持されるなど、既得権にも配慮した形で妥協がなされ、代わりに人口の62パーセントを代表していなければならないという人口比ネット(demographischer Netz)の規定が設けられた。
  2. 欧州議会の議員数の国別割り当ても、人口比に叶う形で見直された。特に、理事会の票数割り当てで妥協したドイツに配慮し、フランス・イタリア・連合王国が相対的に議員数を削減した。
  3. 欧州委員会の委員の数を制限した。特に、それまで2人委員を送り込んでいた五大国(四大国とスペイン)は、これにより、1人だけに制限することになり、もう1人に関する既得権を抛棄した。
  4. 強化協力をより使用しやすくした。

なお、ニース欧州理事会では、欧州基本権憲章も布告された。もっとも、さしあたり法的拘束力を持たず、政治的文書として扱われることとされた。