アンゲラ・メルケル

Angela Merkel
アンゲラ・メルケル
© European Community, 2005

アンゲラ・メルケルは、ドイツの政治家・物理学者。自然科学博士(Dr.rer.nat.)。女性。ドイツ語・英語・ロシア語を話す。本名アンゲラ・ドロテーア・メルケル(Angela Dorothea Merkel)。旧姓カスナー(Kasner)。夫は、化学者ヨアヒム・ザウアー(Joachim Sauer)。前夫は、ウルリッヒ・メルケル(Ulrich Merkel)。「メルケル」姓は、ウルリッヒとの婚姻(1977年)によるもの。

アンゲラ・ドロテーア・カスナーは、1954年7月17日にハンブルクで生まれた。父は、プロテスタントの牧師ホルスト・カスナー(Horst Kasner)。母は、教師ヘルリント・カスナー(Herlind Kasner)。同年、父が旧東独地域のクヴィツォフ(Quitzow、現・ブランデンブルク州)に転勤になったため、一家で引っ越す。アンゲラは、旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)で成長する。

1973年、ライプツィヒ大学に入学し、物理学を専攻。1977年、ウルリッヒ・メルケル(物理学)と結婚。1978年、同大学卒業。物理学学士。同年、ベルリンの科学アカデミー(Akademie der Wissenschaften。このアカデミーは、プロイセン王フリードリヒ1世が設立したプロイセン科学アカデミー(Preußische Akademie der Wissenschaften)の後身である)の物理化学研究所(Institut für Physikalische Chemie)の研究員となる。専門は量子化学(Quantenchemie)。1982年、ウルリッヒと離婚。1986年、ルッツ・チューリッケ(Lutz Zülicke)のもとで博士号取得。博士論文は、『単純連結解除を伴う分解反応のメカニズムの研究、及び、量子化学的・統計的方法に基く速度定数の算定(Untersuchung des Mechanismus von Zerfallsreaktionen mit einfachem Bindungsbruch und Berechnung ihrer Geschwindigkeitskonstanten auf der Grundlage quantenchemischer und statistischer Methoden)』。

物理学に従事する一方、政治的な関心ももともと高く、すでに1970年代の前半には旧東独の公認団体である「自由ドイツ青年団(Freie Deutsche Jugend)」に入団。研究者として活動する傍ら、自由ドイツ青年団のアジテーション・プロパガンダ総務などもつとめていた。

1989年に旧東ドイツの体制転換(共産独裁体制の崩壊)が起こり、その最中に「民主的出発(Demokratischer Aufbruch)」に入党。1990年には、同党がキリスト教民主同盟(CDU)に吸収合併となり、アンゲラ・メルケルもCDU党員となった。同年、連邦議会(Bundestag)議員に当選。当時の連邦首相ヘルムート・コール(Helmut Kohl)に気に入られ、1991年には連邦女性青年大臣として入閣、1994年には連邦環境・自然保護・原子炉安全大臣に就任した。

アンゲラ・メルケルとロマーノ・プローディ
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1998年の連邦議会選挙でCDUが敗北し、コール首相が退陣すると、ヴォルフガング・ショイブレ(Wolfgang Schäuble)がCDU党首に就任。しかし、アンゲラ・メルケルはショイブレを公然と非難。ショイブレとの政争に勝ち、2000年にCDU党首に就任。2002年の連邦議会選挙では、キリスト教社会同盟(CSU)との統一連邦首相候補を、CSU党首でバイエルン州首相のエドムント・シュトイバー(Edmund Stoiber)に譲るが、シュトイバーは敗北。メルケルは、CDU・CSU統一会派の会派長にも就任し、基盤を確固たるものにした。

2005年の連邦議会選挙では、満を持して、CDU・CSUの統一連邦首相候補となった。しかし、選挙では予想を大きく割り込む結果となり、FDPとともに議会の過半数を制する可能性はなくなったため、FDPとの連立政権は諦め、SPDとの大連立を模索する。しかし、CDU・CSU合計ではSPDに辛勝したものの、CDU単独ではSPDの得票を下回ったため、SPDとの交渉は難航するが、何とか「ドイツ史上初の女性連邦首相」の誕生に漕ぎ着けた。

アンゲラ・メルケルとジョセ・マヌエル・バローゾ
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選挙中は「トルコはEUに加盟すべきではなく、トルコとの関係は『特権的パートナーシップ(privilegierte Partnerschaft)』にとどめるべきだ」との持論を展開したが、輿論からは「外交政策ではシュレーダー首相(当時)に劣る」との印象を持たれた。また、トルコのEU加盟交渉が始まったときにはメルケルはまだ連邦首相に就任しておらず、結局、トルコのEU加盟交渉開始を妨げることはできなかった。

しかし、就任後は、持ち前の政治力を生かして欧州理事会などで存在感を発揮し、外交手腕に対する評価も好転している。